薬剤師になってよかったなと思うことはたくさんありますし、よかったことは以前このブログに書いたことがあります。
しかし辛かったこともたくさんあります。
私の個人的な感想なので、性格や能力によっても感じ方は異なるかと思います。
そこをご理解の上ご覧ください。
- 薬学部に入るための勉強は大変か知りたい人
- 薬学部の学生生活が知りたい人
- 薬剤師になってからの生活が知りたい人
薬剤師になるまで編(大学受験から卒業まで)
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薬学部は当時、無駄に偏差値が高かった
私立は学費がほかの理系よりも高いこと(6年間で約1200万。仕送りが必要な場合はここに800万程度加算されます)、弟がいたため、必然的に私は国立大学を親からすすめられました。
国立大学は5教科7科目かつ数ⅢCが必須だった
私立大学の試験科目は理科2科目と英語、数学もⅡBまで、さらにマークシート形式の大学も多い中、国立大学はセンター試験は5教科7科目、2次試験では記述式で数学は数ⅢCまで必要とされます。
高校3年と浪人した時はたくさん勉強しました。
1日に10時間程度は勉強していたように思います。
最後は阪大理学部A判定まで河合塾の模試で出すところまで頑張りました。
大学受験もきつかったけど、入ってからも勉強だらけだった
大学受験から解放されれば、大学での勉強は楽なはず。
文系だった母から聞いていた話から、私はそんな風に思い込んでいましたが、とんでもないことが大学2年生あたりでわかってきました。
2年生の時に単位を落としかける
1年生までは、適当にこなしても問題なかった勉強が、2年生になるとほぼ専門でぎちぎちに詰められ、試験は2週間近く暗記だらけで20科目?(記憶が定かではないですが…)程度受けなければならなくなりました。
コツコツやればよかったのでしょうが、入学してからすっかり一夜漬けに慣れてしまった私は、テスト期間の2週間は廃人のごとく勉強する羽目になりました。
しかも油断してバイトや部活もやっていたので、完全にキャパオーバーし、単位を落としかけて本当に焦りました。
3年の後期からが死ぬほど忙しくて涙が出た
3年の後期から研究室配属になるのですが、ここからが本当に大変でした。
うっかり入ってしまった研究室が超スパルタ研究室で、夜12時まで実験、土曜日はスライド発表。平日に休息はなく、日曜はぐったりでした。
研究室配属されてからは、ほぼ休みがない状況で大学院入学試験、卒論作成と発表(スライド)、大学では無対策の国試(薬剤師国家試験)を次々とこなさなければならず、大学入試の時よりもこの時期は辛かったです。
最後まで迷ったのですが、学費の関係と、あまりにも研究室が忙しく、製薬企業に本当に行きたいのかわからなくなってしまったためです。
国家試験対策は本当にまったくしてくれなかった
4年生の9月くらいに学校から物凄い量の黒本という問題集が届き、渡されただけでした。
見てください、このすごい量を!
4年制だったので、6年制の子に比べたら少ないかもしれませんが、それでもすごい量で吐き気がしました。↓
1月ごろに模試があるのですが、この時にこの問題集に取り掛かることが出来ていたのは、クラスの3割程度(研究室によって卒論を書く時期や国家試験の為の休みをくれる時間が異なる)でした。
私の研究室は一番卒論が遅く、2月上旬までやっていたので、この時まで全く問題集をひらくゆとりはありませんでした。
1月の模試の結果が、学年全員信じられないくらい悪く、教授がキレていました。
しかし時間もなく、勉強できていないのだから仕方がないと思っていました。
4年生の2月から薬剤師国家試験の対策をスタート
2月の中旬になって初めて問題集を開いてびっくりしました。
大学の先生は、基礎の授業を好きなように深く考えずに自由にやってますからね…。
国試の事は眼中に全くありません。
もっと早くにそのことに気が付いていればよかったです。
そこからはもう本当に泣きながら、吐き気と戦いながらの勉強でした。
前日まで不安でたまらない試験は、これが最初で最後だと思います。
そして勉強する時間がないのにもかかわらず、重要な試験に臨まないといけない恐怖を味わったのも、これが最初で最後です。
首の皮一枚で受かりましたが、もう二度とやりたくない経験です。終わった後も恐怖で暫く眠れなくなりました。
勉強する時間があるっているのは、有難いことなのだと気が付きました。
振り返ってみても人生で一番この時がつらくて、トイレにいる時間も勉強する異常事態でした。
薬剤師国家試験は簡単なわけではない
2月からの対策で受かるから、薬剤師国家試験は簡単なんだろうと思う人がいるかもしれませんが、とんでもないです。
やはり対策が足りずに同級生でも落ちた人はたくさんいます。
東大では半数近くが同じように対策不足で落ちると聞きました。
成績の悪い子は留年させたり、国家試験の前の試験があり、それに合格できなければ受験できないようになっているにもかかわらず、この合格率のようです。
幸い同級生は皆、最終的に受かったのですが、受からなかった人はその後どういう人生を歩んでいくんでしょうか。
薬学部の定員を絞るなど、厚生省も対策を考えるべきだと思います。
薬学部を卒業後、就職してから
薬学部を目指した時は「薬剤師になりたい」と思っていたのですが、国立大学に入ると段々製薬企業に行くか、薬剤師になるか迷い始めました。
最後になって研究室がハードすぎてすっかりやる気がなくなり、大学院にも進まずに急に就職することになったため、就職に対してのデータ収集が、かなりいい加減になってしまいました。
今はどうかわかりませんが、国立大学は教授を中心に、まずは大学に残って研究、次が製薬企業で研究、次が開発で、薬剤師になるのは最終手段といった暗黙のヒエラルキーがありました。
そのため薬剤師を馬鹿にしている雰囲気があり、あまり情報収集できる環境ではありませんでした。
早い段階で薬剤師になると決めていれば、もっと動き方も違っていたのかもしれません。
今でもこの時の選択は後悔しています。
体力があって、時間もあって、子供のいない若い頃に病院で勉強すべきでした。
薬局から病院への転職は、子供が出来てからでは本当に難しいです。
2023.5 追記です!その後、30代後半で専門病院に転職しました!
専門病院に転職した記事はこちら↓
勉強不足過ぎて周りから呆れられる
国家試験は、ほぼまぐれで受かったようなものなので知識もなく、意識も低く、なんとなく仕事をしていたことも見抜かれて、職場の人にかなり怒られました。
性格的にズボラなためミスも多く、落ち込むことが多かったです。
私立ではないため周りに知り合いもおらず、どうやって勉強したらいいのかもよくわからなかったため、「今日の治療薬」や、添付文書、処方箋のコピー(個人情報は削除したもの)を資料として持ち帰り、手探りで勉強しました。
「今日の治療薬」は今でもわからない薬を調べるのにたまに使っています。情報量は添付文書程多くはないですが、簡易検索、類似薬検索に便利です。↓
当時、薬剤師が出来る事は限られていた
いまは薬剤師の職能も、薬剤師向けの勉強会も増えてきています。
そして知識の豊富な薬剤師も増えてきましたが、当時は今よりももっと医師の権限が強く、本当に処方箋通りに薬を出すこと、スピードを上げる事、ミスを減らす事、在庫の管理ばかりに神経をつかっていました。
妊娠中、出産後復帰を決意するまで
結婚してからもしばらく続けていたのですが、妊娠すると、この仕事は向き不向きがある仕事でした。
結果的に切迫流産で安静指示が出て、そのまま退職してしまいました。
しばらくは専業主婦をしていたのですが、勉強を強いられていた時はあんなに勉強したくないと思っていたのに、子どもがいて勉強がまったくできない環境になったとたん、不思議な事に勉強したくなってきて、子育ての合間を縫って必死に英語や薬の勉強を始めてしまったのです。
子育て英語や復帰までの勉強法はこちら↓
子育てしながら仕事との両立に奮闘
ブランクが長く、育児中に勉強はしていたものの、現場で得られる知識量には程遠く、歯がゆい思いはたくさんしました。
怒られたり、ありえないミスをしてしまって穴があったら入りたい気持ちになったことも何度もあります。
育児、家事、仕事、教育の両立だけでも大変です。
さらに子供のトラブルが加わった時、自分の体調を崩した時、本当に綱渡りであると感じました。それに関する記事はこちら↓
振り返り
薬剤師は比較的恵まれた仕事だとは思いますが、なるまではそれなりに大変だったし、なってからもそれなりに大変です。
そして今も常に悩みながら前に進んでいます。
楽でお金を稼げる仕事はないのかもしれません。
なぜかふと自分の半生を振り返ってみたくなり、今回記事を書いてみました。
特に結論は出ていないのですが、こんな人もいるのかという参考になれば幸いです。
薬剤師になってよかったことに関する記事はこちら↓
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