正社員になるのがそんなに大変なことなの?薬剤師なんて引く手あまたじゃない。
独身で薬剤師を継続している人、祖父母のサポートが受けられる人にとって、正社員で居続けることはそれほど難しいことではないのかもしれません。
23歳だった昔の自分(一浪していたため)が、今の自分の話を聞いてもピンとこなかったと思います。当時は実家に住んでおり、何かを守るために、自分以外の何かを優先するために仕事をセーブする必要もありませんでした。
そして当時の私は向上心はあまりなく、とにかく遊びたかったし、とにかく結婚したかったし、東京にいられるならどこでもよかったので、薬局の薬剤師は売り手市場だったのもあり、就職も容易でした。面接に行き、真面目に職場に通いさえすれば正社員でいられたのです。
この記事では、40代になった今までの人生や、私が正社員のレールを離脱してからそのレールに戻るまでの人生を振り返ってみたいと思います。
かばこ今まさに悩んでいる薬剤師の皆さん、これから子育て、結婚を迎える皆さんの参考になればという思いで書いてみました。
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都内女子高から地方国立大学に進学、そして東京に戻る


私は東京で生まれたにもかかわらず、父の強い希望と、私自身のほんのりとした研究職への憧れもあり、都内の中高一貫の女子高から一浪して、地方国立大学に進学しました。当時は医学部以外で東京から地方国立大学に進学を希望する人は少なく、都落ちだとか、東京の大学生活のほうが面白いだとか、なぜ東京から地方に来たのかなど色々言われたり、質問されたりしました。
東京にいて、都内に沢山私立大学があるのに、なぜわざわざ都落ちしてまで地方国立大学に行くのか、周りの人には理解が出来なかったようです。
国立大学出身だった父はずっと私に言っていました。「ずっと東京にいると視野が狭くなる。東京以外に出たほうがいい。国立大学で本当に優秀な人と一緒に勉強するのはとても価値があることだ。」
父の事が大好きだった私は、素直に父の言うことを信じ、真面目に勉学に励み、国立大学に進学しました。
国立大学は優秀な人が多い?
40代の今になったから客観的に思うことですが、国立大学出身は優秀な人が多いというのは、半分正解で半分不正解だと私は思います。
国立大学の人は、学力的には優秀で、地頭がいいか、膨大な学習量をこなせる人が多いです。しかし人間的に成熟しているとか、仕事をした時に優秀かどうかはまた別です。
仕事ができるの中身は、ただ学力的によくできるというだけではありません。
思いつくだけでも下記のものがあります。
- 薬学が好きか
- 薬局や病院の仕事を楽しいと思えるか
- 周りの人と協調できるか
- 粘り強く真面目に業務をこなせるか
- 社会に出てからも自分で課題をみつけて学び続けることができるか
- 勤務を続けられる体力があるか
- 情緒が安定しているか
- 俯瞰して自分の事や周りの事を見ることができるか
- 誠実さ
勉強を好きな人が多くて話があったこと、国立大学だったためか、お金持ちであることをアピールする人がいない、またはそれをアピールするのは恥ずかしいことだという文化があったのはよかったことだと思います。
研究職への憧れと諦め
ほんのりとあった研究職への憧れは、研究室に配属されて打ち砕かれました。
私が所属していたのは有機合成の研究室。研究では花形だと思うのですが、劇薬と書いてあり、その劇薬が揮発して充満している、どう考えても身体に悪そうな空気が立ち込める研究室に、毎日朝から晩まで缶詰、窓は締め切って光も入らない環境でずっと実験を続けていました。
土曜日は教授の前で研究経過の発表があるため、実験の合間にスライドを作る日々。しかしそもそも私はあまり有機合成に興味がなかったようで、実験の結果もあまり見ておらず、教授からはハッキリと見放されていました。



当時はその有機化学の研究室が、研究の最先端な気がしてかっこよく思えていて選びました。しかしやはり好きや興味という情熱がないと続きませんでした。
製薬企業に行けば確かにお金は薬剤師よりもらえるかもしれない。研究職じゃなくて、開発職や学術職もある。確かにそうなのですが、当時の私はその環境に疲れていて、あと2年もそこで頑張れる気がしませんでした。
興味のない有機合成、身体によくない環境、院試、国試、臨床研修、卒論、次々と降りかかる課題に疲れ切っていました。そして家に帰っても一人暮らしだからご飯もなく、愚痴を話せる相手もいない。頑張って大学院に行ってもその借金は社会人になってから返さなくてはいけない。
普通に社会に出て働いて、結婚して子供を持ちたい…。私はその時そう思い、製薬企業への道を断念し、薬剤師になることを決めたのでした。
26歳で結婚、そして最初の薬局を退職


薬剤師になると決めたものの、それは消極的な選択でした。なりたくてなったというよりは、疲れ切って選んだ選択でしかありませんでした。
一人暮らしに疲れて実家に帰り、ただ都内でなんとなくキャリアを積めそうな薬局を選びました。それが最初に勤めた都内大病院前の調剤薬局です。
最初の調剤薬局
人間関係は悪くなく、非常にいい人が多い職場でした。ただ、勉強面では今振り返ってみても物足りなく、社会的に薬剤師に求められているニーズとずれていることを教えている薬局でした。



穴埋めの薬理問題集みたいなのを皆で勉強してました。絶対に患者さんからも医師からも聞かれない、大学の勉強の延長みたいなことです。
なんか違うなと思いながら、監査が何たるかもよくわからないまま、たくさん処方箋を捌くためにマシーンのように調剤し、クレーマーに絡まれて落ちこみ、ストレスを皆で飲むことで発散するような日々を送っていました。
あの日々も思い返せば楽しいことが沢山あったのですが、薬剤師の職能としては何か違うな、これでいいのかなという不完全燃焼を抱えながら正社員で3年ほど勤めました。



ここで出会った75歳のおばあさん薬剤師は私の憧れです。あんな風に元気に75歳まで仕事を続けるのが私の夢のひとつです。
26歳で結婚によって転居、そして正社員から離脱
3年勤めた薬局を、結婚による転居のために退職しました。
結婚した時はちょうど東日本大震災が起きた直後、新しい生活を立て直すことで精いっぱいだった私は、大手調剤薬局でフルタイムパート勤務を選びました。結果的にここが私が正社員を離脱したポイントになりました。
つわりで体調が思うようにならず、更に切迫早産で精神的にも追い詰められ、自分自身や仕事に対してもすっかり自信を失ってしまいました。
6年に及ぶ長い専業主婦生活に突入
専業主婦でいさせてくれた夫には感謝しています。しかし今になっても、この時もっと早くパートでもいいから復帰してればよかったと思います。
朝から晩まで子どもと二人きり、日々行く場所は支援センター、話す相手は夫か、たいして親しくない支援センターで知り合ったママさん。子供はかわいいけれど、相手をするのに疲れてイライラすることが増えました。
あんなに勉強したくない、面白いと思えないと思えなくなっていた薬学への興味や、勉強そのものに対しての興味が私の中で沸き上がってきていました。
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下の子が3歳の時に、託児所に預けて薬剤師としてパートで復帰しました。
その時、専業主婦期間は6年にも及んでいました。



子どもの成長を見守れた、勉強への情熱が芽生えたという意味では貴重な時間でしたが、キャリア的には長すぎる潜伏期間でした。
6年の専業主婦から薬剤師へ復帰と病院への憧れ


もちろん6年もブランクがあったため、わからないことがたくさんあります。当時入った薬局の薬局長は私と同級で、子供のいないバリキャリの女性でした。薬局にいながら論文も書き、新聞にも掲載されるような本当に優秀な方でした。
当時の彼女から見ると私はすごく足りないところだらけで、毎日教えることだらけ、ミスだらけだったと思います。
復帰する前に勉強した知識と6年前の経験を武器に、ひたすらメモを取り、帰ってから復習し、二度目は間違えないようにくらいつきました。彼女はかなり仕事に関して厳しい人でしたが、3カ月後には少しずつ慣れてきて、半年たつ頃にはそれなりに戦力として数えてもらえるようになりました。



今は私も彼女もこの薬局を辞めてしまいました。しかし今では彼女も子供を産んで、家族ぐるみで定期的に遊ぶくらいの仲良しになりました!
薬局での学びと薬学の面白さへの気づき
一番大きいのは、最初の薬局や腰掛けでパートで働いた薬局では身に付かなかった、本当の意味での監査や投薬が身に付いたことです。
上司になった彼女は薬剤師としてのプロ意識が非常に高い人であり、勉強熱心な人でした。そして新しいことにどんどん挑戦し、問題点に気が付くのが上手な人でした。
彼女の側で監査時の添付文書の活用の仕方、不足していた場合の情報収集の仕方(製薬企業に聞く、書籍で調べる方法など)を学びました。また、門前病院が積極的に検査値や治療内容を公開している病院だったこともあり、検査値と患者さんの説明から類推し、違和感に気が付き、疑義照会に結び付ける癖がつきました。
トレーシングレポートの活用にも積極的で、もっと患者さんの処方を患者さんにあった状態にするにはどうしたらいいのか、などの視点も身に付いたと思います。
また、この薬局では吸入指導も丁寧におこなっていました。吸入指導は軽視されがちですが、しっかり正しい方法で吸入することで症状が改善すること、今まで当たり前だと思って流れ作業になっていた投薬を基本からしっかりやり直す必要性に気が付きました。
プライベートでは息子(小2)がイジメにあう
プライベートでは小2になる息子が学校でいじめられ、ストレスで目が見えなくなりました。担任の先生が十分に対応してくれなかったため事態が悪化し、収束に時間がかかりました。
通院が必要になること、今後どのくらい迷惑をかけるかわからないため、薬局長に頭を下げたのを覚えています。結果的にここから4年間大きな病院に半年に1回通院し続けました。



今の息子の視力は裸眼で両目2.0で、昔の悩みはどこへやらな状態になりました。
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病院で働いてみたい!最後のチャンス?
その薬局での仕事は楽しかったのですが、3年を過ぎるころになると、ルーチンワーク化し始めた事と、近隣に大手薬局が来たことで処方箋の枚数が減ってしまい、暇を持て余す時間が増えるようになりました。
常勤ですら暇を持て余している状況で、自分が役に立っている感覚、成長している感覚がなくなってきていました。そして病院で働いてみたいという気持ちがフツフツと沸き上がっていきました。
大学在学中の研修では、大学病院でマシーンのように地下の調剤室で働く薬剤師の姿に魅力を感じませんでした。投薬も投げやりでした。唐突にカーテンを開けて、一方的に薬の確認と専門的な知識を病気の患者さんに機械的にするその姿に、自分のやりたいことはこれじゃないなと何となく感じていました。
ただ、その薬局の門前病院は丁寧な指導、監査、医師との連携が出来ており、こんな仕事ならしてみたい、処方箋を出す前のところに関わりたい、医師の処方意図を類推するだけではなく実際に知りたいと思うようになりました。
その当時私は30台後半で、根拠はありませんが、薬局から病院へ転職するならこれが最後のチャンスなのではないかと感じました。
薬局から病院へ!戸惑いと面白さ


思い立ったら我慢できず、転職活動を行いました。
しかし病院経験がなく、しかもまだ子どもが小3と幼稚園児でパート希望を出していたため条件が悪く、先方からは会ってももらえないことが続きました。もちろん門前病院のような大きな病院の空きはありません。
そんな時、たまたま求人には掲載前の情報を薬キャリが発掘してくれ、無事に面接、採用が決まりました。
それが今私が勤務している糖尿病専門病院です。
転職の時の記事はこちら


薬局との違いに戸惑いと苦労
私が勤めている病院は糖尿病に特化したとてもユニークな病院です。糖尿病の療養指導とチーム医療に力を入れており、治験や研究も行っています。
勤め始めると、薬局時代の緩やかな時間が信じられないぐらいの仕事量でした。覚えること、やることが次々と現れるけれど、マニュアルがなく、見て自分で考えて覚えるしかない。関わっている人の数も数十倍で、なかなか覚えられない。現場は余裕がなく、なかなか教えてもらえる空気感ではない。
薬局時代とは違い、カルテには様々な職種の人が書き込み、添付文書や検査値と併せてすべてを確認して監査しなければならない、しかもその監査の量が1日に60件以上という大きな環境の変化に最初は戸惑いました。
上司の薬剤師は常に電話がなったり、患者さんの対応をしているような状態で、聞きにくいときが多く、機械の操作やカルテの見方は他職種に食いついて教えてもらうこともありました。



2025年末には地域糖尿病療養指導士を取得し、学会にも参加してきました!学会参加も久しぶりでした。
他職種との連携、チーム医療の面白さ
薬局と違って面白さを感じていることは、他職種との連携、チーム医療、そして患者さんの生活や人生を理解して行う指導です。
薬局で投薬しているときは、相手がどんな人か、どんな説明だったら心に残るのか、覚えてもらえるのかなど個別に考えられるような時間はありませんでした。
娘の病気と寛解
病院に転職してから、プライベートでも色々ありました。
足を引きずりながらも懸命に学校に通う娘が可哀そうで涙が出て、物理的には月に2回の通院がきつく、精神的にも体力的にも追い詰められました。
難病であることを受け入れ、良くなるのかどうかわからない現実に絶望感を感じながら仕事をしていました。でも、この時もしも仕事がなかったらもっと追い詰められていたと思います。
仕事があるせいで通院はきついけれど、仕事があるお陰で気がまぎれるという状態でした。
その時の記事はこちら


娘は強運なのか、信じられないくらいの驚異的な回復力を見せ、今はメトトレキサート6mgを週1回とナイキサンを1日2回飲む程度で、通常の生活を送れています。
PTAを退会、そして戦うことに
息子が小学5年生の時のPTA会長がPTAを改革し始めました。
普通は共働きが増えている現代に合わせてスリム化していくものだと思うのですが、この時のPTA会長はその流れに逆行しており、退会者が相次ぎつぶれそうな子ども会を復活させるべく、PTAに組み込んで、子ども会に入っていない親にも強制的に子供会の役員をやらせるという暴挙に出ました。
しかもその子供会の役員の仕事量が尋常ではなく、万が一あたった場合は家庭が崩壊しかねないレベル。



そりゃ子ども会から退会する人が続出するのも納得の仕事量…。
常軌を逸した改革と、母子手帳を回収したり、家庭の事情に踏み込んできて、くじを引かせて強制的に役員をやらせようとするPTA会長の横暴ぶりに我慢ができず、私はPTAを退会して反旗を翻しました。



私は子ども会に入っておらず、既に二人分の役員を終えていましたが、くじを引けと言われたのでやめる決断をしました。
しかしその後も大変で、PTAを辞めたことで息子が排除のターゲットになり、息子の学校での権利を取り戻すため、弁護士に相談しながら戦うことになりました。なかなかこちらの味方にならない学校と教育委員会を動かすべく半年にわたって奮闘し、非常に消耗しました。
その時の記事はこちら


娘、再びいじめにあう
娘の病気が寛解してきて1年、やっと落ち着いた日常を取り戻せたと思ったのも束の間、娘の弱った様子を昨年度から見ていた男の子の同級生から娘はいじめにあいました。



娘の学校は男の子の数が多く、荒れています。
イジメの主犯格の男の子は、娘に何度も「きもい」と言い、他の男の子を脅して娘をターゲットにしました。娘の触ったものをすべて消毒するという心を深く傷つけるような行為でした。
幸いいじめが発生して3週間程度で早期発見だったこと、当時の担任の先生が迅速に教育委員会に報告、子供たちへの調査、親たちへの注意、指導などに入り、次の年のクラス分けを徹底してくれたおかげで娘は不登校などの大きなダメージを受けずに学校に通えています。



女の子とはうまくやれているため、今の学校生活は平穏に戻りました
病気も今回の事で再燃することなく、落ち着いています。
子供の成長と時間の余裕
娘の学校生活が落ち着き、息子が中学に入ったことで少しずつ私の負担が減ってきました。
息子の習い事の送迎が減り、娘の通院の回数も減り、勉強も一人で出来るようになりサポートが減りました。
パートの無い日は買い物に出かけたり、ぼーとテレビを観たりする余裕ができ、ふと気が付くとまた暇を持て余すようになりました。
いよいよ15年ぶりの正社員への復帰


私は暇を持て余すと何かしたくなる質なのでしょう。
息子の中学受験のときも、息子が自走し始めると暇になり、ブログを開設してしまいました。それがこのブログです。
準社員になりたい!
先日、働いている病院の婦長さん(人事の実権を握っている)に正社員に近い準社員になれないかと相談しました。
準社員はこの病院の独自の制度なのですが、時間の制限がありながら、正社員とほぼ同等の権利があるものです。



ボーナスや手当もつきます
4年近くの勤務実績と平日は休みなしで朝8時から、土曜日はすべて出社するという条件で準社員にしてもらえることになりました。まだ娘が小学生で中学受験を控えているため、月から木まで16時勤務という条件だけ我儘を言わせてもらいました。
社労士の勉強も開始!
社労士って何?どんな仕事?
私もつい最近までそう思っていました。
- 社労士(社会保険労務士)は、労働・社会保険、人事・労務の分野で書類作成や指導・助言を行う国家資格者。企業の人材に関するエキスパートとして活躍し、合格率は約6%前後の難関試験。平均勉強時間は800〜1,000時間で、合格後は登録が必要。
- 定義: 労働・社会保険諸法令に基づく書類の作成や、申請の代行、人事労務管理のコンサルティングを行う専門家。
- 独占業務: 社会保険労務士法に基づき、資格保有者のみが社労士名で書類作成・提出代行を行うことができる。
- 主な活躍の場: 社労士事務所への勤務、企業の人事・総務部門、独立開業。
しかしキャリアの相談をGeminiにしていた時、社労士と組み合わせる方法を提案されたのです。



Gemini、思っていたより面白いアドバイスとレスポンスをくれるので、参考程度に悩みがあった時は聞いてみてください!
そこから興味をもち、色々な書籍を読んでいるうちに、「え、面白そう!最悪社労士になれなくても、この勉強自体に価値がありそう!」と興味がむくむくと湧いてきました。
これから1年と3カ月頑張って勉強してみたいと思います!



2カ月毎くらいに更新していこうと思っているので楽しみにしていてください!
社労士に興味がわいた人はこちら
終わりに


結婚による転居でフルタイム勤務を離脱してから15年、その間には6年の長い専業主婦期間を経て、やっと準社員まで復帰しました。2年後には正社員に切り替える予定です。
正社員になるのが夢って、たいしたことない夢のように思えるかもしれません。でも子育てをしながら、ブランクがあっての正社員への道は資格職であってもハードルが高く、遠く感じました。
ここまでくる道のりも平坦ではなく、特に子供関係のトラブルが相次ぎ、何度も両立にめげそうになりました。でもその時期に私を支えてくれたのも職場の存在でした。
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