心因性視力障害は治る!3年にわたる通院と小学生の息子の成長と親の考察

小学校2年生の時に私の息子は心因性視力障害になりました

原因は同級生の女の子2人からのいじめでした。

息子のいじめられていた状況と、当時の解決方法はこちら↓

初めて聞く病名でどうしたらよいのかわからず、もがいて、調べて、さまざまな人に助けられました。

そしてその出来事をきっかけに、同じ悩みにぶつかった人の参考になればよいなとブログを始めました。

いじめ自体は小学2年生の時にほとんど解決しており、日常生活では問題がなかったのですが、その後もなかなか定期健診で結果がでず、通院を続けていました。

小学5年生の1月の診察でようやく視力検査で結果が出て、通院終了となりました。

視力は1.2、1.0でした。

今回は、いままでのまとめと、その後の経過と息子の成長記録をまとめました。

目次

心因性視力障害とは?心の病気?

心因性視力障害はどのような病気なのでしょうか?

心因性視力障害目の心身症と言われており、本来は見えているはずのものが、脳に強いストレスがかかることにより、認識できなくなる病気です。

心因性視力障害の場合は、近視や遠視や乱視があってメガネをかけても、メガネでは視力がでません。検査しても眼球自体には悪い所はありません。

視力を測定してみますと、測定のたびごとに視力が違っていたり、凸レンズと凹レンズを組み合わせて度のないメガネをかけると、視力が改善することもあります。

8歳から12歳の子どもに多く見られ、女子では8歳から13歳、男子では8歳から12歳に発症のピークがあります。

学校や家庭で心の悩みを抱えていることがあります。このストレスが、視力障害の原因と考えられています。

心因性視力障害は治る病気?

眼科的には異常がないので、必ず良くなるため心配ないと考えられています。

心因性視力障害は、子どものある時期におこる一時的な現象です。

ストレスの原因を取り除くことが大切ですが、簡単には解決できないことも多く、学校の担任の先生などと連絡をとりながら、長期的に経過をみることも必要です。

どのくらいで治る?

半年から1年以内に70~80%の子どもが視力1.0以上まで回復します。

息子の心因性視力障害の症状と重さ

息子は小学2年生の時、2人の女の子からいじめにあいました。

女の子は息子が好きで取り合いをしているつもりだったようですが、息子は二人の間に挟まり、取り合いにあい、悩んでいました。

自分の思うとおりに動かない息子にいら立って、次第に息子の心を攻撃するようになり、先生も対応してくれず、事態は悪化し、心因性視力障害を発症しました。

全体的にみると、重めの心因性視力障害にかかったのではないかと思います。

ある日突然視力が0.01に。物が二重に視える症状も

ある日の朝突然、両目1.5から0.01に下がりました。

眼の屈折率を検査する機械でも、異常であるという結果が出ていました。

総合病院に紹介され、1時間かけて検査すると少しずつ視力が回復しますが、それでも0.1程度でした。

脳のCT検査も受けましたが、異常はありませんでした。

検査の間も視力がぶれるため、メガネは作ることができませんでした。

しかし本人の見たいものは視えており、学校では黒板の板書以外は支障はありませんでした。

主治医から一番心配されたのは、物が二重に視える調節痙攣(ちょうせつけいれん)、輻輳痙攣(ふくそうけいれん)という症状でした。

この状態が悪化すると、定着して治らない可能性があると言われ、早期回復のため、先生、学童の先生方含め、さまざまな方に協力していただくことになりました。

視力が回復するのに、結局3年かかった

日常生活に支障がなくなったのは、2年生の終わりごろですが、その後も定期健診では0.1以下をたたき出し続けました。

小学5年生の春の検査でも0.1だったため再検査となり、この冬に行った検査で初めて1.0を出すことができ、通院終了となりました。

心因性視力障害、何が大変だったか

心因性視力障害は、本人見たいものは視えているため、先生や家族の理解を得られにくいことでした。

主治医の診断書を提出してもなお、先生に事態の深刻さを理解していただけず、いじめは放置されました。

屈折率を測る機械でもはっきり異常を示しているにもかかわらず、夫も息子が嘘をついているのではないかと疑っていました。

なかなか病気を理解せず、妻としてもどかしく、悲しい気持ちになったことを覚えています。

心因性視力障害はどのように治っていったか

どのようにして息子は改善していったのでしょうか?簡単にまとめたいと思います。

いじめ発覚時、2年生の10月は黒板の字が見えなかった

登校は問題なくでき、体育、ゲーム、公文式や宿題も提出できていました。

しかし、黒板だけは視えなかったため、ずっと先生の近くで授業を受けていました。

今考えると、休み時間に彼女たちが近づいてくるため、先生に守ってほしかった、そんな気持ちが体に現れていたのかもしれません。

2年生の終わりごろから、少しずつ回復

いじめの原因が改善に向かいはじめ、黒板が多少は視える日が増えてきました。

総合病院の視力検査でも、1時間かければ多少の視力が出るようになりました。

ただ、すべての物体が逆に視えているという驚きの検査結果が出たり、脳の不思議や心の不思議を感じたりする日々でした。

3年生から5年生春まで

一緒に外出すると、視力1.0の私でも見えない文字が読めていました。

おそらく日常では両目視力1.5くらいあったのではないかと思います。

それでも学校の検診では0.1以下の結果が続き、総合病院に通い続けました。

総合病院でも短時間の検査では0.1~0.3が限界、屈折率を測る検査でも異常が見られたため、完治とはいいがたく、通院が続きました。

息子自身、まだいじめの恐怖から完全に立ち直っていなかったため、そんな気持ちが検査結果に出ていたのかもしれません。

かばこ

息子は2年生の時のことを思い出すと、「本当に怖かった」と今でも言っています。

小学5年生の1月に通院終了

ようやく総合病院の短時間の検査でも1.0、1.2の検査結果を出すことができ、目の屈折率も回復しました。

息子の両目は1.5くらいありそうなため、もしかしたら完治ではないのかもしれませんが、通院終了となりました。

もしかしてHSC?息子の性格とは

いじめがあったことは確かなのですが、子どもの性格によってはここまで悪化しなかったかな?という気持ちもありました。

もう少し断れる性格だったなら…。怒れる性格だったなら…。

息子をいじめていた女の子は、性格がかなりキツイ子であることは間違いはありません。

ほかの男の子に対しても命令などをして嫌がられていました。

ほかの子はキツイことを言われたら、キツイことを返すし、怒ったり、けんかをします。

けれど息子はけんかや、キツイことを言うこと、相手を傷つけることを異常に恐れるのです。

その性格が今回ここまで事態を悪化させてしまった原因のひとつでもあると思います。

HSCって何?息子の性格とは

HSC(Highly Sensitive Child)とは、敏感で繊細、感受性が高いなどの気質を生まれ持つ子のことです。

特徴としては以下のものがあります。

  • 刺激に対して敏感
  • 刺激を受けやすく、疲れやすい
  • 慎重に行動する
  • 共感する能力が高い
  • 人との境界線が薄いことが多い

病気ではなく、5人に1人が該当するともいわれています。

HSCのチェックテストはこちら⇒The Highly Sensitive Person

かばこ

息子は23問中18個該当していました。

専門家から指摘されたことはありませんが、おそらくHSCだと思います。

息子は妹とすらケンカしたことはない

息子は小さなころから誰ともケンカしたことがありません。

私が止めたこともないのです。

私自身は弟とケンカばかりして育ったので驚きなのですが、息子は妹ともケンカをしないのです。

妹も強引なタイプではありません。

しかし幼いのでイラつくことはあると思いますが、決してケンカしません。

食べ物の取り合いは基本的に息子が譲るため、取り合いになりません。

ケンカを見るのも嫌

児童館で子ども同士のおもちゃの取り合いが起きることがありますよね?

すると息子はその空気すら嫌でその場から逃げてしまうのです。

ましてやほかの子が遊んでいる遊具を取りに行ったり、貸してほしいということもできません。

我慢して諦めるのです。

かばこ

私は結構はっきりものを言うタイプなので、言えない息子が歯がゆく、怒ってしまったこともあります。
しかし学童の先生から、それは息子にとって無理なことであると説明され、自分とはまったく違う存在なのだと学習しました。

学童や延長保育が嫌

学童や延長保育は学年がバラバラだったり、クラスもごちゃごちゃなので、知らない人がたくさんいます。

そういった状況が嫌で仕方がないようで、とにかく嫌がりました。

仕事をしているため、致しかたなくいかせていたのですが…。

新しいクラスでは馴染むのに時間がかかる

年齢とともにかなり改善してきましたが、幼稚園のころまでは新しいクラスに馴染むのに、半年くらいかかっていました。

毎年クラスの先生から、半年たったころから性格が変わってビックリされていました。

人の気持ちがわかりすぎる

クラスの雰囲気や他人の気持ちに敏感で、わかりすぎてしまうようです。

相手が嫌なことはよく理解できるため、嫌われるようなことは言いません。

そのため友人からは好かれています。

その代わり、自分は我慢し続けるため、疲れて家で癇癪をおこすことが頻繁にありました。

特に先生の気持ちに敏感で、先生の望むように行動するため、先生から期待され、仕事を押し付けられていることが多々ありました。

年少のころはクラスのまとめ役、年中のころは面倒な子の相手、小3からずっと採点係と指導係、まとめ係などかなり先生の仕事を振られています。

年中のころが一番大変で、毎朝玄関で泣きわめく子をなだめて連れていく係をやらされ、ストレスで暴れるようになってしまいました。

かばこ

ひどすぎますよね…。先生からは「これも経験ですよね!」と言われて呆然としました。

いじめていた子のことですら心配していた

いじめをおこなっていた女の子達は性格がきつすぎて、クラスで嫌われていたようです。

「僕が離れたら、お友達がいなくなってしまってかわいそうなんだ」と泣きながら息子に言われて、いじめている子のことまで心配していてビックリしました。

親としては、そんな子のこと心配している場合ではないのに…と思いましたが。

HSCって克服できるの?

HSCは病気ではなく、性格の特性です。

今回のいじめではそれが悪い方向に出てしまいましたが、繊細であることは必ずしも悪いことばかりではありません。

芸術に向かえば繊細な音楽や絵を作り出すこともあります。

実際、息子の音楽や絵は非常に繊細で細かく、たびたび先生や外部のコンクールなどでも評価を受けています。

また、人の気持ちにこれだけ気が付き、寄り添うことができるのは一種の才能だとすら思います。

しかし、このままでは本人が苦しむので、ある程度はどうにかしないといけません。

さまざまな本やサイトを読みましたが、HSCをある程度コントロールするためには、自己肯定感や経験を重ねることが大切なようです。

自己肯定感をあげる工夫

心掛けたことをまとめました。

  • 以前よりも子供の話をよく聞くように心がけました。
  • ケンカをしない、他人に優しすぎる息子が歯がゆかった時期もあり、怒ってしまったこともありました。でもそれは息子を否定することで、息子は自分とはまったく違う人間、感性をもっている人間であると理解し、受け止めることにしました。
  • 勉強面やスポーツ、芸術などで、できる範囲で自信がもてるようにサポートしました。
  • 他人の問題まで息子が悩み、解決する必要はないこと、無理なら逃げていい、断っていいことを伝え続けました。
  • 他人に嫌われることを恐れないこと、他人の評価を気にしすぎないように伝え続けました。
  • 先生や友達の言っていることが必ず正しいわけではない、人間だから間違えることもある。おかしいなと感じたら、早めに相談するように伝え続けました。
  • 失敗を恐れないこと、失敗したらまた立ち上がればいいだけのこと、傷ついても回復できることを伝え続けました。

いじめが治まった後の学校の対応とその後

いじめや病気に対する学校の対応はどうだったのでしょうか?

いじめ発生時、担任は見て見ぬふり

心因性視力障害が発症する前から、息子は学校でのことを家で報告していました。

私は連絡帳を通じて先生に相談していました。

先生からは「女の子達にもきつく注意しています」と説明を受けていました。

心因性視力障害を発症して、さらに学校の協力が必要となったため、診断書を持参し、理解と協力を求めました。

先生は「わかってます。対応しています」とおっしゃっていました。授業は前の席にしてくださっていました。

しかし蓋を開けてみると、いじめをおこなっていた女の子達と席が近かっただけでなく、グループ活動は同じグループのため、日中はほとんど一緒にさせていました。

なぜ席替えしない?なぜ同じグループにする?

食べられかけている魚とサメを一緒の水槽に入れたままにするでしょうか?

ふつうはすぐに水槽をわけますよね?

先生からは「いまさら席替えできない」「グループを途中で移動するのは難しい」と報告を受けましたが、たかが2年生のグループ活動や席替えがそんなに大変なわけはありません。

担任の先生の裁量でいくらでも変えられるはずです。

息子のわがままではなく、いじめで心身に影響が出ている緊急事態であるということを理解せず、ただ面倒であるというだけで放置していたのです。

女の子達には指導しています。でも、子どもだから時間がかかるんです。

女の子達には確かに指導に入っていたみたいでした。

しかし口で注意するだけです。

先生は息子にも事情を聞くのですが、2年生の息子が上手にすべての状況を説明できるはずがありません。

「息子君もあまり深刻な話はしないですよ。私だって女の子達には指導しています。でもまだ子どもなんです。すぐには理解できないんですよ」

2年生だから、注意をすぐには理解できない、それは仕方ないです。

だったら、席を離すなり、対応をとるべきです。

なぜ息子がその女の子たちが理解できないのに付き合って、サンドバックになり続けないといけないのでしょうか?

怒りが収まらなかったのを覚えています。

学童の先生、教務主任にレポート提出

じっくり息子の話を聞き、時系列でレポートを書き、学童の先生、教務主任にレポートを提出し、担任の先生の対応に関して疑問を呈しました。

はっきり過失を認めたわけではないですが、そのあと担任に指導が入ったようでした。

次の日から席が変わり、グループワークは別になり、休み時間もクラス皆で遊ぶように巻き込んでくれました。

学童でも、男の子と女の子でグループを分けるなど対応をとってくれました。

該当児童とクラスを分けてくれた

次年度は別のクラスにしてほしいというのは難しい要望かもしれません。

ただ、このように心身に影響が出ており、回復していない以上は配慮していただきたいため、一応担任の先生に伝えました。

必ず別のクラスにするとは約束はしていただけなかったですが、配慮してくださり、3年から5年までクラスが一緒になることはありませんでした。

該当児童とは接触せずに済んでいる

クラスが分かれた影響で徐々に接触は減り、異性ということもあり、徐々に距離が離れていきました。

彼女たちの影響で、男の子と遊ぶこともままならなかった状態から、今はたくさんの男の子の友人に囲まれて楽しくやっています。

学童も行かなくなりました。

現在はたまに合同の授業があるときに話すことがあるくらいで、影響はなくなりました。

息子の成長といま

息子は現在小学5年生、4月から6年生です。

小学2年生の時はまっ暗で、「学校の門が地獄の門に見える」と苦しんでいた息子は今は笑顔で学校に通っており、クラスの友達から好かれて人気者になっています(自他ともに認めています)

相変わらず人とケンカすることができない、反対意見は言えない息子ですが、普段いろいろな子に優しくしている影響か、優しい息子が攻撃されるとかばってくれる友達がたくさんいるようです。

先生や友達からの評価を気にしすぎて、嫌われることを恐れすぎていましたが、無理だということは断れるようになったようです。

さまざまな人に受け入れてもらい、助けてもらい、大丈夫だという経験を重ねることで、自信がついてきてきます。

これからもたくさん失敗するでしょうが、何度でも親として寄り添い、ともに戦い、悩み、支えていきたいと思います。

まとめ

小さなころから恐れが強く、外で見せる姿とは違い、家庭内ではどちらかというと手のかかった息子。

私はあまり繊細ではなく、言いたいことははっきり言う性格のため、理解ができず、親としても繊細な息子とどう接してよいのか、たくさん迷いました。

これからも迷い続けるのだろうと思いますが、振り返ってみると、息子なりに着実に成長しているなと感じました。

同じように悩んでいる方の参考になれば幸いです。

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